プロフィール

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弁護士

事務局

弁護士 冨永賢治

弁護士

冨永賢治 とみなが けんじ

1977年9月山口県下松市で出生
1996年3月山口県立下松高等学校 卒業
1996年4月大阪大学法学部 入学
2003年3月大阪大学法学部 卒業
2004年11月司法試験合格
2005年4月司法研修所 入所
2006年10月弁護士登録(大阪弁護士会所属)、おおぞら総合法律特許事務所入所(現弁護士法人ときわ法律事務所)
2012年4月弁護士森脇崇悟とともにあかつき総合法律事務所を開設
2013年6月弁護士法人あかつき設立
自己紹介

はじめまして、弁護士の冨永賢治と申します。

私が育ったのは、瀬戸内に面した山口県下松市という鉄工業が盛んな小さな町でした。「のぞみ」や「ひかり」などの新幹線を造っている工場や、近くに石油コンビナートがある関係で中小企業が多く、父親も小さな機械設備会社を経営していました。小さなころは、周りにも自然が多く残っており、双子の弟と一緒に、タケノコを裏山で掘ったり、田んぼの用水路でザリガニを捕まえたりして遊んでいました。

ところがある日、それまで遊んでいた水路がすべてコンクリートで固められ、周りの田んぼも埋め立てられてしまいました。ザリガニもフナも居なくなった水路を見て、人間の勝手で、きれいな自然や生き物たちが消えていったことに、幼心にも大変ショックを受けたことを今でも覚えています。ちょうど同じ頃、バブル崩壊後の不景気の波が父親の会社にも押し寄せ、両親が苦労している姿も目の当たりにしました。元請から下請、下請から孫請とどんどん請負金額の減額を要求されたり、時には契約自体を打ち切られることもありました。

弁護士を目指したきっかけ

そのような不条理に対して、自分も法律のことを勉強して、少しでも力になりたいと思うようになりました。そんな時、ある弁護士の書いた本を読む機会がありました。 その中には、正義の味方にあこがれて弁護士となった経緯、そして弁護士になってからは、借金の取立てにあい自殺寸前の人の再起を助けたり、自分の利益を顧みず社会的な立場の弱い人の味方になって彼らの力になって活躍する姿が描かれていました。その本を読んだことがきっかけとなって、自分も同じように困っている人の役に立ちたいという思いが強まり、弁護士を目指すことにしました。

どのようなお悩みでも結構です。一人で悩まず、まずはお気軽にご相談ください

弁護士になってからは、毎日いろいろな方の相談を伺っています。形は変われど、お一人お一人が深刻な悩みを抱えておられ、相談に来られます。いずれのご相談に対しても、真摯にお話を伺い、その方にとって最良の解決方法をご提案することを常に心がけています。「もっと早く相談に来ればよかった」、「話を聞いてもらって肩の荷がスッとおりました」とおっしゃる方もたくさんいらっしゃいます。実際、もっと早く相談に来て頂けれよりよい解決方法があったのに、と歯がゆく思うケースもあります。どのようなお悩みでも結構です。一人で悩まず、まずはお気軽にご相談ください。

趣味

将棋 ・ゴルフ ・美味しい珈琲とスイーツの食べ歩き

休日の過ごし方

主夫、修行中です。美味くて体に優しい調味料を探しています(キャラ弁にも挑戦中です)。

弁護士 森脇崇悟

弁護士

森脇崇悟 もりわき しゅうご

1981年2月京都市で出生
2000年4月中央大学法学部法律学科入学
2004年3月同学科修了
2004年4月中央大学法科大学院入学
2006年4月同大学院修了
2006年9月司法試験合格
2006年11月司法研修所入所
2008年9月弁護士登録(大阪弁護士会所属)、おおぞら総合法律特許事務所入所(現弁護士法人ときわ法律事務所)
2012年4月弁護士冨永賢治とともに、あかつき総合法律事務所を開設。
2013年6月弁護士法人あかつき設立
自己紹介

はじめまして。弁護士の森脇崇悟と申します。

生まれは、祖母の家があった京都です。小学校までは、親の転勤についていく形で幼少時代は八王子と山梨で、小学校低学年から高校卒業までの間は神戸で育ちました。大学時代は「親元から離れてこそ一人前」という思いで、東京の大学に進むことに決めました。それから、大学で4年間、法科大学院で2年間過ごしましたが、「地元の人たちの力になりたい。」という思いや「骨を埋めるところは関西しかない。」という思いが強く、法科大学院の卒業をきっかけに、地元関西へ舞い戻ってきました。

中学生時代に体験した阪神大震災、弁護士になりたいと考えるようになりました。

振り返ってみると、私が弁護士になりたいと考えるようになったのは、地元の神戸で起こった阪神大震災がきっかけだったと思います。被害の大きかった長田区などの地域の光景は、いまでも脳裏に焼き付いています。私がすんでいた地域は比較的被害の小さかったので、震災後、近所の公園などにたくさんの仮設住宅が所せましと建てられました。本来であれば野球やサッカーなどをして遊ぶための芝生が埋め尽くされていました。

私の通っていた中学校にも、仮設住宅で生活することを余儀なくなされた子たちが転入してきました。震災の影響や多感な時期だったこともあり、転入してきた直後は互いに少し距離がありましたが、徐々に、転入生との距離が近くなっていき、1カ月も経った頃には、みんながだんだんと元気を取り戻し、また、「転入生」ということを意識しなくなっていきました。

ところが、校外で一緒に遊んでいたときに、ある子が、それまで楽しそうに遊んでいたのに、突然地面に座り込んでしまったことがありました。話を聞いてみると「地元の友達も家族も家も失い、今こうして慣れない土地で暮らしていることで言葉には表わせないほどの不安だ。これまで住んでいた土地の一部を強制的に買い上げられてしまうかもしれない。どうしたらいいかわからないし、誰に相談したらいいかもわからない。」ということでした。私は、その子が地震で両親を失い祖母と一緒に生活していることは知っていましたが、この言葉を聞き、久しぶりに、その子が「転入生」だったんだということを思い出しました。

また、その子が、「祖母に心配をかけたくない。」、「みんなに暗い顔よりも明るい顔を見せていたい。」と思い、私たちの前でも、無理をしていたということが分かりました。このとき私は、「本音を話してくれたんだなぁ。」とうれしく感じたのと同時に、「なんでそんなことになってしまっているのだろう。どうしたら、もっと力になれるのだろう。」とはがゆい思いをしました。

それ以前から漠然と弁護士という仕事に憧れを持ってはいましたが、法律の専門家である弁護士になれば、このように困っている人の力になれるのではないかと思い、このとき、自分が目指す職業の一つとして弁護士という選択肢が加わったのだと思います。

それから12年経ってようやく弁護士になりました。

それからは、ほぼ毎日、いろいろな方の相談を伺っています。みなさんそれぞれの悩みや不安を抱いて相談に来られます。情報や知識がないばかりに、法律上は請求できるはずのものを断念せざるを得ない状況に陥っている方もいます。みなさんの不安や要望を丁寧に伺って、それぞれの方に最適な解決方法を提案し、解決に導けたらと思っています。

「どこにも相談するところがなく、不安を抱えたまま過ごされている方を一人でも減らしたい。」という思いで毎日を過ごしています。「相談してよかった!」「先生に相談して、元気になりました。」と言っていただいたり、相談に来られた方の笑顔を見るのが、私の最高の幸せです。ご家族に話をするように、肩の力を抜いて気軽にご相談頂けたらと思います。

趣味

(1)ゴルフ
地元に帰ってきて、親孝行のために始めたゴルフ。 腕前はまだまだ。ただ、イメージ通りに球が飛んで行ったときの快感がたまりません。

(2)スキューバーダイビング
高校のときに、家族と一緒に小笠原の海へ。 あのときの感動が忘れられず、沖縄やモルディブの海へ。予想した通りひどく感動して、平成21年の冬の和歌山の海に潜ってライセンスを取得。その後は、ニューカレドニアや沖縄へ。 世界中の海で写真を撮りたいです。

(3)バイク
風、最高です。

弁護士 山岡義英

弁護士

山岡義英 やまおか よしひで

1989年7月大阪府大阪市で出生
2008年3月大阪府立住吉高等学校 卒業
2008年4月同志社大学法学部法律学科 入学
2012年3月同志社大学法学部法律学科 卒業
2012年4月立命館大学法科大学院 入学
2014年3月立命館大学法科大学院 修了
2015年9月司法試験合格
2015年12月司法研修所 入所
2017年1月弁護士登録(大阪弁護士会所属)、あかつき総合法律事務所入所
自己紹介

はじめまして。弁護士の山岡義英と申します。

私は、大阪で生まれ育ちました。大学の4年間と法科大学院の2年間を京都で過ごしましたが、自分の生まれ育った大阪を拠点として働きたいという思いがあり、縁があって、あかつき総合法律事務所に入所しました。

弁護士を目指したきっかけはドラマの影響が大きかったと思います。

私が弁護士を目指したきっかけは、今から振り返ってみると、中学生の頃に見た、「ビギナー」という司法修習生のドラマの影響が大きかったと思います。このドラマでは、様々なバックグラウンドを持つ司法修習生が、異なる視点から議論をし、成長していく姿が描かれていました。同じ事実でも、立場が変わればこのように違って見えるのかと、中学生ながら驚き、その後、私が法の世界に足を踏み入れるきっかけになりました。

法の世界の面白いところは、どのような立場の人に対しても平等であり、たとえ立場の弱い人でも法的に正しければ、その人の言い分が通るというところです。当たり前のようではありますが、一般の社会においては、どうしても、正しいかどうかではなく、立場が上の人、力を持っている人の言い分が通るということがあるかと思います。私は、このように、法律を知らずに理不尽な思いをされている方々や法的な知識はあるがどのように自分の権利を行使したらよいかわからない方々に寄り添って、共に困難を解決していけるような仕事がしたいという思いがあり、弁護士という職業を目指すことになりました。

どのような相談でも、丁寧にお話を聞かせていただきます。

弁護士になって、様々な方から相談を受けることで、弁護士にとっては当たり前のことでも、そうではないこと(違法なことがまかり通っていること等)がたくさんあり、また逆に、相談を受けた事件に、私が想像も付かなかったような複雑な背景があることに気づかされることもあります。どのような相談でも、丁寧にお話を聞かせていただき、問題を解決するためには、どうするべきであるかを共に悩んだ上でご提案させていただきますので、ご気軽にご相談ください。

趣味

(1)クラシックギター
音楽をやってみたいと思い、大学入学後、ギタークラブに入りました。 今は、家の近所のギター教室の発表会で、年2回演奏しています。

(2)ゴルフ
週末にレッスンに通って、特訓中です。

弁護士 辻本圭太

弁護士

辻本圭太 つじもと けいた

1990年1月和歌山県有田市で出生
2008年3月私立開智高等高校 卒業
2008年4月関西大学法学部 入学
2012年3月関西大学法学部 卒業
2013年4月大阪大学大学院高等司法研究科 入学
2015年3月大阪大学大学院高等司法研究科 卒業
2016年9月司法試験 合格
2017年1月司法研修所 入所
2018年1月弁護士登録(大阪弁護士会所属)、あかつき総合法律事務所入所
自己紹介

はじめまして、弁護士の辻本圭太です。

こうして自己紹介をできることをうれしく思います。

出身は、有田みかんで有名な和歌山県有田市です。それ以降、ずっと近畿圏で過ごしてきました。小学生のころ、外で遊ぶことも好きでしたが、教室で小説を読んでいたことの方が多かったように思います(当時は、『ズッコケ三人組』シリーズが好きでした。)。大学生になっても、大学の図書館で一人黙々と本を読んでいることが好きでした。

弁護士を目指したきっかけ

弁護士という仕事に興味をもったのは、大学生のころに読んだ本でした。その本の主人公は弁護士であり、様々な悩みをもった依頼者に真摯に向き合い、依頼者の抱える問題の解決のために全力で取り組む姿が描かれていました。私は、その本を読みながら、苦労に苦労を重ねながら依頼者の抱える問題を解決するために全力で取り組む弁護士の姿に憧れを抱き、私もそのような弁護士になれればいいなと考え、弁護士になろうと決めました。

これからも、依頼者の抱える問題を解決するために全力で取り組む姿勢を忘れずにいたいと思っています。どんな些細なことでも、気兼ねなくご相談していただければうれしいです。

趣味

読書、ゴルフ

休日の過ごし方

家でのんびりしています。

事務局 石井沙織

事務局

石井沙織 いしい さおり

19歳〜第1子(女の子)、21歳で第2子(男の子)を出産。
20歳〜トライアングル(家・職場・保育所等)な毎日を慌しく過ごす。仕事は、保険外交員、パート、電線・下水道会社の事務員等こどもの成長に合わせて転職する。こども関係での役員は、PTA関係1回、子ども会:副会長、会計、学童:会計、野球チーム:会計で参加させて頂きました。参観にも必ず毎回参加(高校生にもなると嫌がられていますが・・・)
32歳裁判傍聴 法律の世界に興味をもつ。
33歳〜この世界の門をたたく。冨永先生、谷井さん、小野さんに出会う。 資格学校(行政書士講座:1年、司法書士講座:1年半)に通学。
37歳〜森脇先生、小幡先生に出会う。 あかつき総合法律事務所へ入所。
自己紹介

はじめまして。石井沙織と申します。

私はどこにでもある普通の家庭に生まれ育ちました。両親は若くで結婚し裕福な家庭環境ではなかったですが、ごくごく普通に18歳まで育ててもらいました。私に転機が訪れたのは、18歳でいわゆる『できちゃった結婚』をしたことで一般の仕事をする社会人としてではなく、一人の親としの社会人1年生になった訳です。

仕事と子育ての毎日を過ごしていたある日、ある刑事裁判を傍聴する機会がありました。その裁判の第一審の判決は、私にとっても腑に落ちるものでした。しかし、その判決に対して、控訴がされました。私は、「なぜ、控訴するんだろう?」と何がおかしいのか理解できませんでした。その後、控訴審で裁判がされ、最終的に第一審の判決が覆される結果になりました。その判決の内容を聞いたとき、私は「なんでそんな判決になるの?意味が分からない。」と思いました。この裁判をきっかけに、それまで法律と無縁だった私は右も左も、ましてや入口も分からずこの法律の世界に飛び込んでしまった訳です。

いきおいそのままに、私は平成19年5月頃、法律事務所の門をたたきました。

仕事に慣れてきたころ、肺気腫を患っている方の担当になりました。自営業で運転資金に借金を重ね自転車操業状態で、おまけに自身は病気で余命が短い事、自身が死んでしまったら最愛の妻に借金を背負わせてしまう事を一人で日々悩んでいる時にラジオで過払い金の話を耳にし相談、依頼をして来られた方でした。早速取引履歴を計算し直したら、残債務が消滅し払いすぎた利息が数百万円あることが判明。すぐその方に連絡しお伝えすると借金が無くなったことにかなり安堵され「ありがとう!ありがとう!」と何度も私に告げられたのです。

自身の余命が短く払いすぎた利息を取り戻す事に欲がなく「葬儀代になる額で十分」と話し合いでの早期解決を望まれ解決されたのです。債権者より無事に返金されご本人に連絡したところ出られたのは奥様でした。「1週間前主人が亡くなってしまったの・・・・」と・・・・

事件が解決されるまで、週に一回は進捗確認のお電話を頂きたくさんお話する中、日々話す声がかすれ息苦しさが受話器の向こうから聞こえてきて良くない事ぐらい感じていましたが、現実に亡くなられた事を知った途端、胸が苦しくなりました。毎回会話の最後に「返ってきたお金は必ず妻に渡してくれ!これは僕の遺言やで!」と頼まれていたので今回の件をお話すると頑なに「いらない。子どもにもそんな説明できないし・・いらない!」と拒否。ひたすら生前のご主人との会話を奥様に伝え続け、ようやく奥様にお渡しする事ができました。この時「初めて人の役に立てたのかな?」と感じ、かすれた声で「ありがとう!」が聞こえた気がしました。

この世界に飛び込んで5年が瞬く間に過ぎ去りました。

その間、主人の協力もあり、なんとか子育てと仕事を両立することができました。今も、毎日新しいことを吸収しその学びが誰かの役に立てたらと精進しています。 この世界の門をたたくと同時に法律を知るために資格取得の勉強を始めました。私には日本語なのに英語のように感じ、漢字の読み・意味を調べないとテキストを読めないぐらい難しいものでした。学校にも通いましたが、先生の呪文のような話と仕事帰りの通学だったせいか「魔の7時半」からよく居眠りをしてしまい、その箇所だけがテキストには書き込みもマーキングもないお粗末な状態でした。

そんな姿を傍でみているこども達も最初は突然の姿に何を始めたか理解出来ないようでしたが、毎日毎日眉間にしわ寄せながらテキストを読み続ける私に「頑張れ!いつか資格取れたらいいね!」と声援を送ってくれたり、学校のテスト勉強時には一緒に勉強してくれたり、受験をする為に毎回試験会場の大学までの送り迎えをしてくれる夫の協力もあり、諦めず今ここにいられるのだと感じています。

しかしその反面、いくつになっても化粧やオシャレを学ぼうとしない私に、こども達は呆れた口調で「法律の勉強より簡単なのに・・・」と毎日すっぴんで仕事に出掛ける姿が不思議なようです。そう!この私は化粧に関して全く興味のなく「気持ち悪くないなら大丈夫!」感覚なので、私にお会いされてダメだと感じられたら遠慮なく「アウト!!」とお声を掛けてください。その時は真摯に受け止め、私の中の何かに火がつくかもしれません。(笑)

趣味

読書

とある休日の過ごし方

朝: 7時半起床(朝食・家事を終えたら、眠気に襲われるまで勉強もしくは読書)

昼: 家族そろってマクドを食べながら、「たかじんのそこまで言って委員会」を観て あーだこーだと自分の考え、感想を話し合う。

夕方: 夫とイオンへ買い物。(チラシで安売りを発見したら、3〜4件はしごして買い物する。)

夜: 「もやもやさまーず」を観ながらのんびり過ごす。

目標

司法書士の資格を取る。

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